『暴れて嫌になる夜の連続』についての談話。
〜めくるめく暴れて嫌になる世界への誘い〜
アラビアンナイト(『千夜一夜物語』)って嘘のようにミラクルな説話が満載なんですよね。
その中でも特に有名な「アラジンと魔法のランプ」「船乗りシンドバットの大冒険」「アリババと40人の盗賊」に関しては、子供の時に非常に劇画タッチな絵本で読んだ記憶が今だ鮮明に残っています。
で、それらを大人になって読み返してみて、あくまでも私見ですが、全体的にまずとってもいかがわし過ぎるんですけど、その大金持ちっぶりも半端ないし、容赦なく人殺しするし、ひどい話の数々を「魔法」とか「冒険」というロマンチックな言葉でもって子供達を騙しこんでいる'野蛮ファンタジーな'童話集なんだな、と。
ランプこすったら何でも願いが叶うとか、子供に夢を与えているのか、間違いを教えているのか、非常に微妙なところですよね。
日本の童話だと、例えば「願いが叶う」にしても割と勧善懲悪的な慎み深い(しみったれた)ところに落ち着くような気がするんですけど、アラビアンナイトはとにかく自分の欲望しか叶えてないんです(私見ですよ)。お金持ちになりたい、とかその国で一番の美女と結婚したいとか、ある意味完全に欲望深い人間を育ててしまう気が。まったく強欲にもほどがある!とオッサン女の私は思うわけです。
忍耐、根性なんてもっての他、大して努力もせず、ラッキーチャンスで超成金になっちゃう(たまに知恵を絞ったりもしていますが、主人公達はとてもラッキーに恵まれています)、まさしく学校では教えてくれない堕落へのバイブルです。
そんでもって近年アラビア半島の一都市・ドバイの異常なバブルっぷりや、テロリスト達の犯罪への狂騒(という表現でよいでしょうか)、やっぱりアラビア人はただ者ではないなと(という表現もよいでしょうか)。
で、『暴れて嫌になる連続』という話は、そんな夢・魔法のアラビアンナイト説話集の翻案もほんの少しありますが(いえ、もはや欠片もありません)、人生のご褒美を得る前に、まずは徹底的に現実を総括、自己批判していくことから登場人物達の物語が始まります。
ストーリーは
学生運動ならぬ小学生運動という「革命のための闘争」活動をしている少女達(小6)の夏休み、彼女達は自分達の理想国家を作ろうと海外に脱出するために成金者の旅行船をジャックします。
漂流中の船の中で起こる実にストレスフルな小6少女達の人間関係。
闘志や情熱が行き過ぎて「暴力」へと形を変えるナンセンス、極限、また極限へと少女達とその船に乗り合わせた大人達は追い込まれていきます(追い込んでいきます)。
もちろん脱出は不可能。逃げることなどできません。
少女達は純然たる子供。これが『アラビアンナイト』の中の童話の一編ならば、少女達の元に魔法のようなミラクルが訪れるのでしょうけれど、これは’アラビアンナイト'ではなく'暴れて嫌になる'夜の連続。千夜にも及ぶような途方もないストレスの耐久戦となります。
しかし、私もやはり「アラビアンナイト」を読んで育った一人です。
暴力、競争、愛憎が織り成す人間関係等々、現代的な病理がうんたらかんたら、なんて、最終的にはそれらを全部パッパラパーな巨大モスクにでもぶちこんで、パッパラパーとぶっ飛ばしゃあいいじゃん、と乱暴に思っています。
少女達の元に、そしてこの『暴れて嫌になる連続』を体験した全ての大人や子供達に、'アラビアンナイツ的カタルシス'=夢のような幸福が訪れますように、と願っています。
どうぞお楽しみに☆
江本純子 |